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INTERVIEW

​インタビュー

卒業生インタビュー 

キューライス(坂元友介) 第一期卒業生

Qrais (Yusuke Sakamoto)  The first graduates

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昨年末、最新作「悲熊」のNHKテレビドラマ化が話題となったマンガ家、キューライスこと坂元友介氏(1985年、栃木県生まれ)は、東京造形大学デザイン学科アニメーション専攻領域の第一期卒業生。本サイトZAAのメインビジュアル「アニ魔人」のキャラクターデザインでも知られる同氏は、どのようにして人気の現在へと至ったのか。その来歴を御本人にうかがってみた。(インタビュアー・霜月たかなか 2020/12/8)

──坂元さんはマンガ家、イラストレーターとして活躍する一方、Youtubeなどで短編アニメーションも多く発表されています。実はマンガ家以前に、アニメの作家であったという…。

そのことは知らない人のほうが多いと思います。 今年  (2021年)  始めまで、全国のパルコを巡回しながら「キューライス フェムフェムランド展」をやっていたんですが、その中で上映されるアニメを初めて見て、びっくりしたファンの方もいるみたいで。「ええ!?」とか、中には「気持ち悪い」とか(笑)。

──でも 2016年の広島国際アニメーションフェスティバルでは「ナポリタンの夜」(2014年)が優秀賞を受賞したり、アニメ作品も高い評価を得ています。それでもマンガ家になられたのは…。

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『ナポリタンの夜』2014年

いえ、将来マンガ家になろうと思ったことは一度もなく、マンガを描き始めたのは社会人になってからですね。まあ子供のころから絵を描くことは好きでしたけど、それ以外にも、ボール紙を使って町を作るみたいな工作がすごく好きでしたし。中学の時は美術室に窯があって、「使ってもいいよ」と言われたので放課後残って、七宝焼きを焼いたりしてました(笑)。高校は地元の宇都宮の超マンモス校に美術デザイン科っていうのがあったんで、そちらに進んで。そこではデッサンとか製図とか多岐に渡って勉強できたのがよかったし、僕はおもに油絵を描いてたんです。そのころヤン・シュヴァンクマイエル(注1)のDVDが発売されたもんで、彼の「アリス」かなんかを見て、それでもう直撃された感じでね。「わあっ!」ってなって、自分でもコマ撮り撮影を始めたみたいな。勝手に使ってない教室に暗幕を張り、学校のビデオカメラを貸してもらって、放課後に一人残って粘土で人形を作っては動かし、動かしては撮るってことをやったのがアニメーション作りの初めてですね。ただ乾くと固くなる種類の粘土でしたから、人形の関節とかどう作ったらいいかぜんぜんわからない。いろんな素材を試したり、ガンプラの球体関節みたいなものを使ってみたりもしたんですけど、そのへんは非常に苦労して。でも楽しかったですね。だからアニメーション作りに関しては、最初からずっと一人でやってたんです。

注1: ヤン・シュヴァンクマイエル(1934年~)はチェコのアニメーション作家、アーティスト、映像作家。シュルレアリストを自称し、粘土などを使ったグロテスクな作風のアニメーションを多く制作している。代表作に長編の「アリス」(1988年)など。

──それで大学進学も、美術系の大学を目指したということですね。

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もっともっとアニメーションを作りたいという時に、東京造形大学にアニメーション専攻課程ができることを知って「これだ」と思って。しかも自己推薦の枠があることを知って、DVテープに作りかけの人形アニメーションを入れて面接に行って、その相手が木船(徳光)先生だったんです(笑)。それで幸い合格が決まって、両親は一度も「ああしろ」「こうしろ」と言ったりしない人たちだったんで、美大進学も黙って認めてくれましたね。それから相原の駅近くのボロボロの木造アパートを借りて、初めての一人暮らしを始めました。そして作業を一人で完結できるように撮影台みたいなものとか、作れるものは手作りして、部屋の中に環境を整えようと。そうでないカメラとかパソコンとかは借りた機材で作品を作るのが心苦しかったんで、自分で購入して。といっても全部、親が買ってくれたんですけど (笑)。でもそれ以外は服も何も欲しがらない、贅沢しない人間だったから、それでアルバイトもせずにすんだという。後は大学に通いながら部屋の中で作品を作りまくってましたから、コンパなんかも一回も出たことがなかったですね。

──だとすると大学に入って、よかったこととは? 

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『歯男』2003年

それは先生方がいましたから。森(まさあき)先生に「歯男」(2003年)という人形アニメーション見せに行った時には、「もっと美しいものを作りなさい」みたいに言われて(笑)。「そっかー」と思いつつも、「美しいってなんだろう?」と (笑)。ただ、手取り足取り教えてもらいに行ったってことはあまりなくて、わりと勝手に作って、出来上がったら見てもらうという。それ以外では学内の講評会で作品を発表したり。そういう時はいろんな人の作品が参考になる一方、すごく上手い人もいたりするから打ちのめされることもあるし、でもそうやって挫折感を味わえるのが大学のいいところでもあると思うんですよ。それでも、自分から率先して作品をバンバン作っていく同期生は意外と僕の周りにいなかったんで、「大学に何しに来たんだ」とも思ったり (笑)。

──作るだけでなく、知らない作品との出会いというのも大学であったと思うんですが。

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ありましたね。大学でいろんなアニメーションとか映画を見て、自分にとって良い土壌になったというか、それがあったからこそ今、マンガが描けるんじゃないかっていう。チェコ系の作家でもイジィ・トルンカ(注2)とか、ヤン・シュヴァンクマイエル以外にいっぱいいることを知ったり、あとエストニアやカナダの作家とか、日本の岡本忠成さん(注3)。そういう作家や作品を知れたのは、すごい大事なことでしたね。ただ僕は人形アニメーションを作りたいから人形アニメーションを作るっていうより、まず話を思いついてから形を決めるんです。「焼魚の唄」(2004年)の時は自動車教習所で受付の待ち時間に話を思いついて、じゃあどんな手法で映像化したら一番効果的かと。それで魚をわりとリアルに動かしたいので、口をパクパクさせるなら切り紙アニメーションだよねって考えて。ほかにも「在来線の座席の下に住む男」(2004年)とか、学校の課題でもなんでもない作品ばっかり好きで作ってましたから、反対に課題で作った作品のほうはわりとやっつけというかね(笑)。

注2: イジィ・トルンカ(1912~1969年)はチェコの人形アニメーション作家、絵本作家。戦後のチェコアニメ発展の一翼を担った巨匠であり、代表作となる「真夏の夜の夢」(1959年)のほか多くの名作を残して、世界にその名を知られている。

注3: 岡本忠成(1932~1990年)は日本のアニメーション作家。教育映画を中心に様々な素材を使った中・短編作品を数多く制作し、川本喜八郎と共に日本の人形アニメーションの独自の世界を開拓した。代表作に「おこんじょうるり」(1982年)など。

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『在来線の座席の下に住む男』2004年

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──その後、造形大の大学院に進んだのは、どんな理由からだったんでしょう?

いや、それはもうどうしようもないというか、大学の卒業制作で「蒲公英の姉」(2007年)っていう20分の人形アニメを作ったんですよ。本当に一年間丸々かけて、一日も休まずに人形作って、撮影して、編集してってやってたら、「あ、そういえば卒業するんだ!?」って (笑)。卒業したら働かなきゃならないことにようやく気付いて「どうしよう!?」って思った時に、「大学院に行けば、あと二年間作れるぞ1?」と(笑)。そう決めてから「蒲公英の姉」もギリギリ完成させたんですが、人形を固定する虫ピンや糸みたいなものは後でCGで消せばいいんだけど、その時は「イジィ・トルンカはそんなことしない!」っていう謎の自分ルールに縛られてて(笑)。ひたすら虫ピンで止めては、ピン先を黒く塗って見えなくしてからまた動かして…みたいなことを繰り返してましね。だからもう人形アニメは、一生分作ったって気がしますね(笑)。

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──そうして大学院に進んで、次はいよいよ就職ですね。

進んだ理由が理由だったんで、大学院の造形研究科デザイン研究領域に所属した初年から、もう就職のことを考え始めて。実はNHKから人形アニメを作る依頼を自分が受けて、作って納品するみたいなことも在学中からしてたんですよ。ただそういう仕事がコンスタントに来るかどうか心配だったし、根はすごく心配症なもんだから、新卒というカードが切れるのもこれが最後だと思ってとにかく就職しようと。

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それで広告系の東北新社(注4)に入社できて、最初はCMディレクター部門企画演出部っていう部に配属されました。仕事としてはAD(アシスタント・ディレクター)みたいもんで、まずCM制作現場の下働きをする研修期間があったんです。その時は会社に寝泊まり当たり前という感じで、本当にきつかったですね。研修が終わったら企画演出部に所属して、中島信也(注5)っていう有名なCMディレクターの弟子になって、それからは中島師匠の打ち合わせを見てるだけっていう生活が一年くらい続きました。後はもう撮影現場とか師匠担当の現場に行って、録画とか映像の編集をしながら「これがCMか!?」みたいな。そういう師匠の弟子になるのは狭き門でしたから、大変だったけど恵まれた環境でしたね。そのころ、もう一人師匠がいて、このディレクターが落語好きだったもんですから、「落語いいぞー」って僕に教えてくれたんですよ。それで自分も好きになって、寄席に行ったりしましたから、「キューライス」っていうペンネームを落語の「死神」に出てくる呪文から取ったのはそういう理由からなんです。自分のマンガの笑いのエッセンスみたいなものも、たぶん落語から来てるのが多いんだろうなって気もしますしね。

注4: 東北新社(1961年~)は東京の赤坂に本社を持つ、映画やテレビ、CMなどの映像制作、配給、翻訳会社。実写のほかアニメ作品も多く手掛け、長いキャリアを持つ映像の総合企業として広く知られている。

注5: 中島信也(1959年~)は東北新社に勤めるCMディレクター、映画監督、ミュージシャン。テレビCMでは日清食品の「hungry ?」シリーズなど多くのヒット作をものにし、ほかにも映画監督など多彩な才能を発揮している。

 

──マンガを描き始めたのも、ちょうどそのころだったとか?

その前にCMディレクターとして一本立ちすると、わりと自分の時間が担保できるようになって、またアニメーションが作れるようになったんです。それからは毎年一本のペースで、本名で短編を作って発表してたんですが、2014年ごろになぜか、本名で発表するのが嫌になって。それで以後、「キューライス」のペンネームで発表していこうと思ったんです。それから仕事で絵コンテを描くことが多かったから、絵コンテが描けるならマンガも描けるだろうと思って、同じタイミングでマンガも描き始めたんですよ。吉田戦車先生の「伝染るんです。」(注6)が小学校の時好きだったんで、その影響もすごくあったと思いますね。

注6: 「伝染(うつ)るんです。」は吉田戦車による四コママンガのヒット作で、1984~1994年まで週刊連載。オチのない不条理ギャグを展開して、それが一つのジャンルとなるほどの影響力を日本のマンガに及ぼした。主人公は擬人化されたカワウソやカッパなど。

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『ネコノヒー』KADOKAWA刊

とにかく描いては、毎日ブログにアップするっていうのを目標にして続けました。ただ誰にも見てもらえなかったのが、あるWebサイトみたいな所の編集部の人たちと会食した時、「twitterやったほうがいいよ」って言われたんですよ。それでtwitterとか好きじゃなかったんだけど、ブログのマンガをそれで改めて毎日アップするっていうのを始めてみたら、「ネコノヒー」っていうマンガがどんどんフォロワーが増えていって、初めて出版社から「出版しませんか」って声がかかって。そうなると東北新社は副業禁止でしたから、もう師匠の所に行って謝って、結果円満に退職することができたという。それからはもう本当に生活のためにマンガを描き続けて、以来、アニメを作るほうには手が回らなくなってますね。それにtwitterでマンガが話題になった時、すごくたくさんの人から感想とかコメントが寄せられて、その人たちを喜ばせることに自分も喜びを見出したということがありましたから。本当にそれだけが原動力で、今に至っているっていう感じですね。

──退社のきっかけとなった「ネコノヒー」以降、「ネズミダくん」や「悲熊」と、新作マンガの連載依頼や単行本化が相次ぎましたね。

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『悲熊』LINE Digital Frontier刊

ありがたいことに、それで「ああ、意外と生活できてる」みたいな(笑)。でも読者が喜んでくれる方向がわかっても、そこだけを狙ってやっているとあまり楽しくないというかね。僕は本当はもっとシュールで不条理で、変な後味が残るようなマンガが好きなんですけど、SNSで見ると「癒される」とか「可愛い」とか「やさしい」とか、そういうひと言で言い表せる感情がまんまマンガになったようなものがもてはやされるんですよ。だからそう言われるとうれしい反面、本当にこんなものが面白いんだろうかって思う部分もあったりして。

──それでは最後に、自作で一番好きなアニメーションを教えてください。

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『鴨が好き』2017年

「鴨が好き」(2017年)ですね。一番好きな作品です。僕は今はまったくアニメは作っていませんけど、マンガを全部やめればまた作れると思うんです。というのはずっとマンガを描き続けて、ふと突然、ある日マンガをやめるんじゃないかという気がするんですよ。それで年に一本ぐらいのペースで、また短編アニメーションをアップしていくような気がね。自分の中で「ああこれ、アニメーションにしたら面白いのに」っていうイメージがちょっとずつ溜まりつつあるんで、もしかしたらそうなるのかなっていう。いや、もちろんわかんないですけどね、先のことは(笑)。

──マンガにもアニメにもファンがいるので、そこは悩ましいところですね。ありがとうございました。

■プロフィール

キューライス/坂元友介

1985年栃木県出身。魚座、AB型。

高校生の頃から独学で短編アニメーションを作り始める。

東京造形大学アニメーション専攻一期生、同大学大学院卒業。2009年、実写の映像をやってみたくなり(株)東北新社企画演出部に入社。CMやWEBの映像の演出や企画を手がける。

2015年から素性を隠して「キューライス」を名乗り、4コマ漫画やイラスト、短編アニメーションをネットで発表する。2017年Twitter上で残念な猫、「ネコノヒー」が人気となり、同年単行本「ネコノヒー」を発売。

現在は退社し、フリーランスの漫画家、アニメーション作家、絵本作家。

散歩と料理が好き。

そのほかの漫画に「スキウサギ」「悲熊」「ひとり事 キューライスのサクセスごはん」、絵本に「ドン・ウッサ そらをとぶ」「ドン・ウッサ ダイエットだいさくせん!」「あばれネコ」など。

<フィルモグラフィ>

坂元友介作品

    2002年 『息子の部屋』

    2003年 『歯男』

    2004年 『在来線の座席の下に住む男』『焼魚の唄

    2005年 『マーチングマーチ』『父の話』『電信柱のお母さん

    2007年 『蒲公英の姉

    2008年 『とんかつさん~朝~』

    2009年 『おるすばん』『川旅行』『ファンシー不動産』

    2010年 『confeito』

    2013年 『ウィリー・ウィンキー』『猟師と聖』

    2014年 『ナポリタンの夜』

キューライス作品(YouTubeチャンネル)

    2015年 『失われた朝食』『Fast Week』『すばらしい仕事』

    2017年 『鴨が好き』

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